| 岡井盛夫・テキスト・桑田忠親著『千利休』 |
千利休の侘び茶とは？ |
| 信長も秀吉も利休も、小説や映画や芝居やドラマなどで取り上げられてきました。歴史上の人物について学者や研究者は、書物の上で歴史上の人物像を追及してきました。彼らの学究的な業績が、小説家や演出家の人物像の根拠になっています。読者や視聴者は、それぞれの個人像をもっています。 私的な感想ですが、どんな役者が演じようと、適役であったかミスキャストであったかに関わらず、信長や秀吉の人物像は、ほぼ定着しています。それに比べて利休については、人物像をつかみきれないところがあります。 桑田忠親著『千利休』(以下著書という)を通読して、信長や秀吉の私の人物像はかなり修正しなければならない、と思いました。利休については、ようやくおおよその人物像をつかむことができました。 利休と秀吉について著者は、あくまでも学究的に調べあげています。その結果について、並々ならぬ自信を持っています。 信長と秀吉の茶頭、千利休 千宗易(後の利休)は、信長の茶頭(茶の指導役)でありました。著書には、「信長は単なる武断政治家ではなく、茶道文化、日本文化の伝統に十分な理解をもち、敬意をはらっていた。信長は津田宗及と千宗易の茶道界における地位をよく認識していた」、と書かれています。この表現は、荒々しい信長の人物像とは別に、考慮しなければならない資料です。 信長存命中の、秀吉の利休宛の書状が残っています。その文書に、「宗易公」との文言が見られます。「公」とは、最大級の敬語です。千宗易は、天正十一年(１５８３)の五月頃から秀吉に仕えて、茶頭をつとめました。後年、秀吉と利休の間に芸術的コンビが生まれて、画期的な「詫び茶」が大成されました。そして、どんでん返しがありました。利休の所業が原因で、利休が切腹をしました。 信長は、伝統的な唐物(中国から舶載された品物の総称)に重きを置きました。宗易は後年、「楢柴や初花などを珍しい唐物などといって、大騒ぎしているが、自分にとっては、少しも珍しくない」、と断言しています。著書には「利休の審美観は、珍奇なもの、美麗なもの、高価なものから、人間の日常生活に使っているもの、侘しいもの、茶味のあるものを讃美する方向へと転換しつつあった」、と補足しています。 本能寺の変（１５８２）から三年経って 天正十三年(１５８５)に、秀吉が関白になりました。同時期、千宗易は「利休」という居士号を勅賜されました。 著書には、「秀吉は、天下統一の政策として、彼が征服した国々の占領地域に城割、検地、刀狩などの重要政策を実施した。動乱の拠点となる不要な城塞を破却させ、年貢を的確公平に徴収して豊臣家を中心とする国家の財政を豊にして、農民、町人、僧侶、神主から武器を捲き上げ、その行使権を剥奪した。しかも、小田原遠征を敢行し、関東、奥羽を平定して、天下統一の実績を挙げると同時に、身分法令の公布、いわゆる士農工商の分離を策した」、とあります。さらに、秀吉が天下統一の過程で、有力大名であった徳川家康や伊達政宗をいかに巧妙に処遇したかは、よく知られています。 上記の秀吉人物像は、「木下藤吉郎の、機敏な出世物語」とする一面的見方を、かなり修正しなくてはなりません。著者(桑田忠親)は、秀吉の「成金趣味」についても、好意的な持論を展開しています。茶道については、次のように評価をしています。 「評論家や作家はともかく歴史学者のなかにも、秀吉の茶事の趣向を、利休好みではない成金趣味の豪奢なものときめてかかる傾向がある。秀吉の茶事が豪奢好みだったことは、大阪城本丸の黄金(きがね)の茶室で黄金の茶器を使って催した金ピカ茶事と、本丸の大書院における台子飾りをしての大茶会ぐらいなもの。確かな古文書、古日記を博捜すると、秀吉が催した茶事は大体において簡素な侘び好み、利休の詫び茶の影響の著しかったことが実証される」。 利休の切腹！ 秀吉の利休処罰の原因には、諸説があります。著者は、あまたの諸説の中から、大徳寺の山門上に利休の木像を安置させたことと、茶道具の目効き売買に私曲(不正)のあったことを決定的な罪状として挙げています。 上記は、確かに処罰の対象にはなります。しかし、「切腹」とは度が過ぎています。切腹に至った結果は、秀吉と利休の両方にあります。秀吉は、利休が「切腹」と言われて必ず謝る、と楽観したかもしれません。利休は、「絶体絶命の窮地に陥り、ついに死を覚悟してからの心境は、居直りであり、僅かな余命を捨て去り、死後における永遠の名誉に生きようと決意した」(要約)、のかも知れません。 著書には、その他の下記六つの諸説について反証を挙げ、十分にたる原因にはならない、と論じています。 （１）秀吉が利休の娘を側室に所望して断られたこと。 （２）利休の、秀吉毒殺陰謀説。 （３）利休がキリシタンであった、とする説。 （４）利休が朝鮮出兵に反対したこと。 （５）成金趣味の秀吉と、利休の侘び茶と相容れなかったこと。 （６）秀長の死により、秀長・利休ラインに対抗する勢力が利休追い落としをはかったこと。 著書は次のように結論しています。「要するに、利休が処罰された原因と動機は、秀吉側近の家臣たちの対立と反目であった。つまり、利休支持派と反対側の暗闘などであった。しかし、広い視野から眺めると、秀吉が天下平定後、日本の国内に封建的な社会秩序を建設するにあたり最も目障りだったのは、大名を大名とも、武士を武士とも思わない、不敵な堺町人であった。中でも千利休は、天下の大名・武士・僧侶・公家たちをことごとくその門下らとして集め、関白秀吉公の御前で、どの大名や武士よりも豪気に直言し、頭(ず)の高い、知行三千石取りの御茶頭、天下一の茶湯の名人であった」。 利休へ切腹申し渡しがあった直後に、大政所(秀吉の母)や秀吉の正室北政所らが「利休のために命乞いをするから、関白様に、よく謝罪するように」、と密使を走らせています。しかし、利休はそれらの好意を固辞しています。 秀吉の弟の大和大納秀長の死後、利休の地盤は右肩上がりが右肩下がりに変わっていました。利休は、その変化を十分自覚していた筈です。 なお、著書には「秀吉が、利休死後、その処刑を悔やみ、四年後に、その子孫・千家の再興を許可したのは、利休の罪状が不敬罪・私曲罪の程度に過ぎなかったからで、あながち冤罪と認知したわけでもなかろう」、と述べています。 なお、利休の支持者は、豊臣家と秀吉の多くの家臣たちでした。豊臣家では、秀長、生母の大政所、秀吉の正室北政所などが有力な利休支持者でありました。中でも秀長は、支柱のような絶対的な存在でした。 秀長と利休、この二人の間には、茶湯を介してかなり緊密な人間関係が結ばれていました。その秀長をして、「内々の儀は宗易、公儀のことはこの宰相(秀長)がよく存じているのだから、お為に悪いことは、けっしてないはずだ」、と言わせています。 天正十九年(１５９１)、秀長は病死しました。著書には、「利休派の勢力に破綻がおこり、対立・反目していた反利休派の勢力の巻き返しがあり、彼らの卑劣な陰謀によって、茶湯の名人といわれた利休も急速に末路的運命へと転落していった。秀長は最大の保護者であったので、利休は俄然不利に傾いた。利休は、反対派の人々によって、平素の専横と僭上(せんじょう)の行跡を指弾され、公然とその罪を問われることとなった。利休好みの長次郎作今焼茶碗も単なる新儀の道具とみなされた」、と記述されています。 秀吉と利休のコンビで、侘び茶を大成 著書は、利休の芸術的側面について、次のように書いています。「利休は、秀吉の側近にあって茶事に関する権力を一人占めにしているとか、一命を賭けて権者の秀吉に反撥し抵抗したとか、言われているが、そんなことはない。むしろ、利休が茶人として、広い意味の芸術家として、どれほどの業績を後世に遺したか、ということにかかっているといわなければならない。ここで問題にするのは、利休が、秀吉の茶頭八人衆の筆頭としで三千石の知行を食み大阪城の内部で大名以上の権威を誇っていた、というような世俗的な地位ではない。茶の世界における茶人としての地位なのだ」、と言っています。 つづいて、茶人としての地位や条件について、詳しく紹介しています。ここでは茶道と「侘び」について、著書の一部を引用します。 (１)茶道 茶湯の名人としての条件に、「一道」(茶道)に志の深いことである。茶道の最高の理想を目指してまっしぐらに突き進む、熱意の問題にほかならぬ。世俗の雑念に迷わされず、脇目もふらず茶の道を実行する。 （２）侘び 利休は、茶会の主催者である亭主と、茶会に招かれる客人との相互の心づかいが一心一体となって結ばれることを「一座建立」と称した。これをもって茶湯の道の根本条件と定めている。茶湯は、元来、仏(ほとけ)に奉仕する僧侶の行跡を俗人が真似する営みであるから亭主は誠心誠意、客人をもてなし、客人もまた、亭主の心づくしを快く受け止め、万事つつましやかに、控えめに所作する。この心づかいの現れを、じつは「侘び」と称する。 著書『千利休』の結論は、「茶湯の道に富貴貧賤の差別はない。すべて人間として平等である。人は茶の道を学び、侘びの心境に徹することによって、これが利休の確立した茶道の理念である。この理念を人間の生活のなかで具現させるのが茶道文化である。利休の芸術家としての業績は、このような茶道文化を確立させたことにある」、と結ばれています。 一人の読者のエピローグ 著書『千利休』を読んで、利休の茶道や侘びの何かについて、言葉としては理解することができました。しかし、二三の疑問が残ります。その一つは、利休の工夫による躙口(にじりぐち)や蹲踞(つくばい)が侘びの心境に不可分であることはわかりますが、茶の湯が利休と信長や秀吉、あるいは利休と秀吉有力家臣で行われたことを思うと、「富貴貧賤の差別はない。すべて人間として平等である」との侘びの意味が、一部の特権階級の「社交室」になっていたのではないか、と思えてなりません。 あと一つは、秀吉と利休によって大成した茶道が、「今日において、名実とも継承されているのか」、との疑問を持たざるをえません。 (2014/02/25) |